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| 我が家の菜園コラム 家庭菜園を通じて自然に親しみ自然を利用しスローフードな野菜作り。有機肥料で無農薬の菜園野菜でスローフード家庭料理。近場の秘境なども写真つきで紹介 |
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| 「安土城跡」 |
2008年3月3日 「てんびんの里」東近江市五個荘で開かれている商家に伝わる「ひな人形めぐり」のあと安土城跡をめぐりました。 友人は初めて行くことになりますが、ベジタロウは数年前にも登っていますが、昨年の秋は、ブログでも紹介しましたが周囲を散策しています。入山が有料になってからは初めてです。
昨年秋の散策時に撮影した、大手道

大手道から登るとすぐ左手に羽柴秀吉邸跡

右手には前田利家邸跡

大手道の所々にある石仏

黒金門跡

仏足石、解説によると古代インドでは、仏像に先立ち崇拝されていたそうです


本丸跡の礎石


「信長公記」によると本丸御殿は天皇を招くための「御幸の間」が設けられていたそうです。最近の調査で京都御所の天皇の住居である清涼殿の構造と酷似していることが分かっています。信長は天皇を招き天守より低い位置にある「御幸の間」を見下ろし天皇よりえらくなろうとしていたのではないかと思われています。明智光秀の信長暗殺の理由も天皇を超えようとした信長に危機感を抱いたからとする説も唱えられています。
天守跡に立ち雪を頂いた伊吹山を望む

二の丸跡と信長公本廟

天正11年に羽柴秀吉が信長の太刀、烏帽子などの遺品を埋葬したとされています

下山途中で西湖と奥島山を望む、往時は安土は東側の繖山方面を除いて三方回りは琵琶湖に面した要害の地であり、水上交通の要衝の地でもありました

さらに下ると三重塔が残っています。天正二年か三年に信長が甲賀の長寿寺から移築したそうです

三重塔からさらに下には仁王門(楼門)が残されています。元亀二年(1571年)に建てられ信長が移築したそうです。門内には金剛力士像が安置され、楼門と共に国の重要文化財となっています


今日は、久々に暖かい穏やかな日でした。きっと友人の精進が良かったのだと思います。 このあと車を停めた文芸の里まで戻り、安土城考古博物館でコーヒーを飲んで帰途に着きました。 ★ブログランキングに参加しています。ポチッとクリックよろしくです!

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